Jリーグオリジナル10
これは日本のプロサッカーリーグのJリーグにおける発足当初の10チームを指します。
2024年現在、オリジナル10を筆頭にJ1~J3まで整備され、更なる盛り上がりを見せるJリーグ…。
歴史と共に、清水エスパルスの誕生の理由を振り返りましょう!
- Jリーグのオリジナル10の「10チーム」とは?
- オリジナル10になぜ清水エスパルスが選ばれたのか?
本記事を読めばその理由が分かります!
・清水エスパルスは日本サッカーのリーグ構成における「4部」相当のカテゴリーながらオリジナル10に選ばれた
・サッカーの町「清水」の地域性がオリジナル10に選ばれる一番の要因になった
Jリーグの発足は1991年。1993年に開幕しました!
それまでは、アマチュアリーグとして多くの選手が参加して日本サッカーリーグ(JSL)が活気を見せていました。
徐々にプロリーグの待望論が盛り上がり、Jリーグ発足へとつながっていきます。
①日本サッカーリーグ(JSL)とは?
日本サッカーリーグ(JSL)は、1965年から1992年まで存在した日本のサッカーリーグです。
Jリーグが開幕するまで、日本サッカーの競技レベル向上を目指し運営されてきました。
1993年に始まったJリーグの基礎となったリーグです。
日本サッカーリーグは1部と2部があり、主に1部に所属したチームがプロリーグとして選出されることになるのです。
創設当初は8クラブで運営を開始しました。
・古河電気工業サッカー部(東日本JR古河サッカークラブ)
・日立製作所本社サッカー部(日立製作所サッカー部)
・三菱重工業サッカー部(三菱自動車工業サッカー部)
・豊田自動織機製作所サッカー部
・名古屋相互銀行サッカー部
・ヤンマーディーゼルサッカー部
・東洋工業蹴球部(マツダサッカークラブ)
・八幡製鉄サッカー部(新日本製鐵サッカー部)
最終的に、日本サッカーリーグ(JSL)は2部制、その下位リーグである東海リーグ(地域リーグ)が1部制で行われてきました。
・日本鋼管サッカー部(NKKサッカー部)
・藤和不動産サッカー部(フジタ工業クラブサッカー部⇒フジタサッカークラブ)(のちの湘南ベルマーレ)
・トヨタ自動車工業サッカー部(トヨタ自動車サッカー部)(のちの名古屋グランパスエイト)
・田辺製薬サッカー部
・永大産業サッカー部(永大サッカー部)
・富士通サッカー部(のちの川崎フロンターレ)
・読売サッカークラブ(のちの東京ヴェルディ1969)
・日産自動車サッカー部(のちの横浜マリノス⇒横浜F・マリノス※横浜フリューゲルスと合併)
・ヤマハ発動機サッカー部(のちのジュビロ磐田)
・本田技研工業サッカー部
・住友金属工業蹴球団(のちの鹿島アントラーズ)
・全日空横浜サッカークラブ(全日空サッカークラブ)(のちの横浜フリューゲルス⇒横浜F・マリノス※横浜マリノスと合併)
・松下電器産業サッカー部(のちのガンバ大阪)
・東芝堀川町サッカー部(東芝サッカー部)(のちの北海道コンサドーレ札幌)
日本サッカーリーグ(JSL)によって、施設面の充実や企業アマ(サッカーを社業より優先)の増加をもたらします。
一方で、観客動員数やスタジアムの整備、そして最も重要な日本サッカーのレベルアップなど課題は多く、プロリーグ構想へと進んでいくのです!!
日本サッカーリーグ(JSL)がプロリーグ構想の基盤となった。
②日本プロサッカーリーグ❝Jリーグ❞発足へ
プロリーグ構想を掲げるJリーグは、初代チェアマンとして川淵三郎氏を迎えます。
そして、Jリーグへの7つの参加要件を提示します!
①クラブの法人化
②ホームタウンの確立
③1万5000人以上収容可能なナイター設備付きの競技場の確保
④18人以上のプロ選手との契約
⑤下部組織の運営
⑥分担金の拠出
⑦日本サッカー協会の指示に従う
かなり厳しい参加要件だと思われましたが、実に20クラブが名乗りを上げるのです!!
当初は8クラブにまで絞り込む予定でしたが、バブルによる好景気や社会貢献ブームによって加入を希望する団体が多かったため、8クラブから10クラブの選定に変更しました。
厳しい7つの参加要件にも関わらず、実に20クラブが名乗りを上げた。
③オリジナル10とは?
オリジナル10(オリジナルテン)とは、Jリーグ発足時に加盟した10クラブを指す通称です。
古河電気(ジェフユナイテッド千葉)
浦和レッドダイヤモンズ
ヴェルディ川崎(東京ヴェルディ)
横浜マリノス(のちに合併して横浜F・マリノス)
横浜フリューゲルス(のちに合併して横浜F・マリノス)
ガンバ大阪
サンフレッチェ広島
名古屋グランパスエイト(名古屋グランパス)
※鹿島アントラーズ
※清水FCエスパルス(清水エスパルス)
10クラブのうち清水エスパルス以外の9クラブは日本サッカーリーグに所属していて、内8クラブは日本サッカーリーグ1部に所属していました。
鹿島アントラーズ(当時:住友金属)は、「観客席に屋根の付いた1万5000人収容のサッカー専用競技場を建設すること」という条件をクリアして、日本サッカーリーグ2部所属ながら承認を手にしました!
そして清水エスパルスは(当時:清水FC)は、日本サッカーのリーグ構成における「4部」相当のリーグである静岡県リーグ所属ながら承認を手にしました!!
オリジナル10は8クラブが日本サッカーリーグ1部所属、鹿島アントラーズは2部所属、清水エスパルスは実に「4部」相当のリーグに所属していた。
④オリジナル10に清水が選ばれた理由
清水エスパルス(当時:清水FC)は、資金的な問題と現状の戦力(静岡県リーグ所属)からプロ化などありえないと思われていました。
サッカーが地域に根付いている町として認識はされていたものの、清水FCは選考対象のクラブの中で唯一企業の母体を持たないクラブでもありました。
しかし、初代チェアマンの川淵氏の言葉で検討委員会の委員たちの気持ちが傾きます!
清水は子供たちの育成から始めて、長い時間を掛けて今のサッカー王国の土壌を築いてきた。
これから創るプロリーグには、草の根で活動してきたようなチームが必要ではないか。
川淵氏の発言が決め手となって、清水はJリーグ入りを果たします!
サッカー王国としての土壌が評価されたわけです!!
清水サッカーの父ともいえる堀田哲爾(ほったてつじ)氏が長年情熱を持って取り組んできた❝小学校年代からの育成❞が、まさに花開いた瞬間といえるでしょう!
こうして、清水エスパルスはオリジナル10唯一の市民クラブとして、歴史が始まるのです!
サッカー王国としての土壌、川淵チェアマンの発言により、清水エスパルスはオリジナル10入りを果たす。
⑤オリジナル10の選考にもれたチームは?
実はオリジナル10の選考では静岡県から1クラブという条件が提示され、ヤマハ(ジュビロ磐田)は最後まで選考対象に残りながら落選をしたものの、1994年にJリーグに加盟します。
他にも、フジタ(湘南ベルマーレ)・ヤンマー(セレッソ大阪)・日立(柏レイソル)はジャパンフットボールリーグ(旧JFL)を経てそれぞれ1995年までにJリーグに加盟します。
ヤマハ(ジュビロ磐田)※1994年に加盟
フジタ(湘南ベルマーレ)※1994年に加盟
ヤンマー(セレッソ大阪)※1995年に加盟
日立(柏レイソル)※1995年に加盟
Jリーグ開幕前年の1991-1992年シーズンに日本サッカーリーグ(JSL)1部に所属していた12クラブのうち、8クラブはオリジナル10として初年度に加盟したことになります!
ヤマハ・日立の2クラブは後にJリーグに加盟、残り2クラブの東芝と本田技研工業はJリーグ入会を希望せず旧JFLで活動を継続しました。
東芝は本拠地を北海道に移し、コンサドーレ札幌として1998年にJリーグに加盟、本田技研工業は2024年現在未だJリーグに加盟していません。
日本サッカーリーグ1部に所属してクラブは、ほとんどがJリーグ入りを果たした。
日本サッカーリーグ(JSL)のプロ化への機運が高まり、プロリーグ構想につながっていったわけですが、清水エスパルスの選出は大きなサプライズだったといえるでしょう。
企業を母体に持たない、まさに市民クラブの下剋上ともいえる選出です!!
- オリジナル10のうち8チームが日本サッカーリーグ1部所属
- オリジナル10のうち1チーム(鹿島アントラーズ)が日本サッカーリーグ2部所属
- 清水エスパルスは静岡県リーグ所属(4部相当)
当時の川淵チェアマンにとっても、大きな賭けだったのかもしれません。
ただ、それくらい清水の町にはサッカーが根付いており、サッカーを、そして清水エスパルスを盛り上げる土壌が整っていたのです。
実に、Jリーグがスタートした1993年当時、各クラブに所属する選手の都道府県別出身者数では静岡県が断トツの1位!
地元静岡そして清水が長い時間をかけ築き上げた王国の力が礎となり、今後、日本サッカーは世界へと大きく飛躍していくことになるのです!!